戦国史

第15話:三好家・河野家と不戦条約

【1553年(天文22年)11月】 周布家当主は周布元兼。大内氏滅亡後に毛利傘下に入り、吉川元春の配下として播磨上月城攻めで討死したそうな。 【1553年(天文22年)12月】 陶持長が有崎城に単身殴り込みをかけてきた。ええ根性しとるわ。「ワシひとりでどうせえ言うんない!?」と半泣きでケツを割った『仁義なき戦い~代理戦争』の槙原政吉に、爪の垢でも煎...
戦国史

第14話:陶家崩壊~伊予河野氏と激突

【1553年(天文22年)7月】 矢野城落城。 陶家の杉隆相は討ち死にしました 陶家の弘中隆助は切腹しました その他の陶家の主力武将は、ごっそり投降してくれました。 毛利家の捕虜収容所は有名武将のコレクション状態。その結果、陶家の当主は陶持長(隆満)に…。 大内氏と毛利氏の関係が破綻し、一族の陶晴賢が毛利氏攻めを行った際には、周防で留守...
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第13話:宍戸家を増封したり草津城を攻略したり…

【1553年(天文22年)1月】 毎年1月に実行可能な家臣(臣従大名家)への増封・減封。 宍戸隆家が縦横無尽にして獅子奮迅の活躍を見せてくれているので、宍戸家を増封。高八山城を任せよう。元就の次女が嫁いでいるし。 築城年代は定かではないが永正年間(1504年~1521年)頃には上山氏によって築かれていたと云われる。 上山氏は毛利氏と同じく大江...
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第12話:丸屋城・有崎城を攻略

【1552年(天文21年)5月】 包囲網イベント発動。対象は小田原北条家(当主・北条氏康)。 依然、有崎城を包囲しているわけだが、陶方の援軍が到着した。菅田宣真・宣種父子。彼らはもともと大内義隆派なので陶晴賢に反旗を翻すはずなんだけど、この世界ではちゃっかり勝ち馬に乗っかったのかな。 福原貞俊、意外にも智謀が高く、奇襲で撃退。 総攻撃で丸屋城...
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第11話:毛利元就、陶晴賢と断交す(=防芸引分)

【1552年(天文21年)1月】 志川瀧山城の攻略に成功。 志川滝山城は戦国時代に備後国で一大勢力を誇っていた国人「宮氏」によって築かれたといわれ、神辺平野の北部、芦田川水系四川の水源地に近い急峻な山中に位置している。「Wikipedia 志川滝山城」 宮氏の現当主は宮景盛。山内氏に奪われた大富山城を奪還すべく奮闘中の模様。 【1552年(天...
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第10話:剣豪将軍・足利義輝 誕生

【1551年(天文20年)10月】 足利義輝、史実より5年遅れで将軍の座に。 宣教師ルイス・フロイスは、義輝を「とても武勇すぐれて、勇気ある人だった」と評している。剣豪として名を馳せていた塚原卜伝から指導を受けた直弟子の一人である。奥義「一之太刀」を伝授されたという説もあり、武術に優れた人物であったのではないかと言われている。 永禄の変の際、フロ...
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第9話:大寧寺の変 勃発とそれに続く混乱

【1551年(天文20年)8月】 銀山城を落としてホッとしたのもつかの間、予定どおりというか「大寧寺の変」勃発。 さて、どのような結果になったのか、マップを眺めてみる。 ★安芸 ★備後 ★石見 旧大内領がすべて陶家の領土になり、大内に従属・臣従していた大名は独立した模様。で、毛利とそれらの勢力との関係は「無関係」つまり「敵対」状態...
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第8話:備後・銀山城を攻略

【1551年(天文20年)3月】 蝦夷松前に交易船を送れるようになった。月あたりの利益額が大きいので、ありがたい。 農耕民族の和人と狩猟採集民族のアイヌは、それぞれの生活様式によって確保した生産物を交易で交換した。アイヌは魚や毛皮を輸出品目とし、和人の生産する道具(鉄器や漆器)や嗜好品(米、茶、酒)と交換した。Wikipedia「アイヌの歴史」 今、気...
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第7話:石見小笠原家の雲井城・温湯城を攻略

【1550年(天文19年)8月】 前月の重富城攻略戦で捕虜にした武将たちの様子をうかがってみると… そろって「登用拒否」。ま、そりゃそうだよな。腐っても鯛、出雲守護代を務めた名門だよ。 重富城を落とした勢いに乗って、石見小笠原家の雲井城攻略に着手。あまり関係ないかもしれないけど「大寧寺の変」発生前に雲井城と温湯城は手に入れておきたい。 第一次野戦は、言...
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第6話:尼子家当主・尼子晴久が捕虜に…

【1550年(天文19年)5月】 三原城からは博多にも交易船を派遣できるようだけど、堺よりも時間がかかる上に(予想)利益も少ない。三原-博多間の方が若干距離は長いとはいえ、これじゃあちょっとね。堺との交易に専念しよう。 石見中部は計算どおりの展開に。 それでは、いざ出陣! 【1550年(天文19年)7月】 3ヶ月足らずの兵糧攻めの結...
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