つかの間の休息

太平洋戦記
1941年2月第1ターン
  • 戦闘機「2式複戦丁」開発完了

序盤の米重爆キラー一番手です。この時期に固定空戦火力=14は頼もしい。20mm機銃×2・7.7mm機銃×2の零戦21型ですら、固定空戦火力=10ですからね。
問題は瑞星2型発動機で、以前言及したように、間違えて完成度60%で実用化してしまったので、機体の故障率と合わせて20%。つまり10機飛ばそうとしても2機はエンジントラブルやその他の不調で離陸できないことになります。
米重爆とやり合うのは半年以上先になりますが、とりあえず約200機を高雄基地に配備して、フィリピンの米航空兵力に睨みをきかせる予定。

高雄基地といえば海軍の所属で、2式複戦丁は陸軍機ですが、この際そういった細かいことは抜き。戦時において偏狭なセクショナリズムにこだわっていてどうする。

海軍の動き。
対英蘭戦に備えて、戦艦『長門』『陸奥』『加賀』『土佐』、航空母艦『赤城』『天城』『葛城』『笠置』以下の艦艇を仏印のカムラン湾に集結させます。空母『天城』『葛城』『笠置』は『赤城』と同型艦の設定です。

で、そのカムランって……

フランスの植民地であった頃から、軍事拠点として用いられることが多かった。日露戦争中には、バルチック艦隊が寄航し、太平洋戦争中には日本海軍も使用している。第一次インドシナ戦争後はアメリカ軍が進出し、空軍基地も併設された。ベトナム戦争中はアメリカ海軍およびアメリカ空軍の拠点となっている。
1975年に北ベトナムが占領してからは、社会主義陣営の基地となり、ソビエト連邦が1979年より25年間の基地の租借を申し入れ、2002年までソビエト(ソ連崩壊後はロシア)太平洋艦隊の一部を初めとする部隊が駐留していた。

『Wikipedia』より

史実どおり、我が帝国海軍がしばらく拠点として活用させていただきます。

もう一つの拠点がサンジャック。

現ブンタウ。「サンジャック」はフランス植民地時代の呼称です。

陸上兵力はサイゴン(現ホーチミン)とプノンペンに集結させ、対中戦の疲れを癒やしつつ、対英開戦の準備を進めます。プノンペンに8個師団を配置し、サイゴンには後詰めの5個師団。カムランにも約3個師団の兵力を移送し、コタバル・ブルネイ・クチン上陸部隊の編成を進めます。

一方、まだ丸腰の船団が往来できる今のうちに、島嶼部防衛も手をつけます。

エニウェトク~クェゼリン~メジュロと連なるマーシャル諸島。何とこの時点では日本の委任統治領でした。

これらは島というより環礁なので、Googleマップの地図画像もあまりパッとしたものになりません。

クェゼリン環礁

エニウェトクやメジュロも同様。


特にクェゼリンは、米軍の軍事施設がある関係で観光には制限をかけられているのか、ネット上にもあまり情報がありません。

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