霊州防衛と鄭州攻略

太平洋戦記

霊州要塞(?)を舞台に、1939年11月第3ターンから1940年4月第5ターンにかけて、34回にわたる防衛戦を展開。なぜ34回もの防衛戦を余儀なくされたのかというと、それだけ中国軍が攻めてきた……のではなくて、意図的に誘い込んで攻めさせたのです。

その「霊州」ですが、実はどこにあるのかわかりません。Googleマップで検索しても地図帳を見ても載っていない。以前、開発元ジェネラルサポートが運営するGS掲示板に質問を投げてみたところ、山西省の霊石県だという回答をいただいたのですが、それにしてもかなり位置がズレてるんですよね。ゲーム内のマップから推測すると、このあたりのようです。

太行山脈の谷間にある渉県という町の近辺。見方によっては、太原から鄭州に至る山中の隘路ということで、防御陣地を築くのに適していると見えなくもありません。この太原とか鄭州とか開封のあたりは、かつて日本軍の支配下におかれました。

1937(昭和12)年11月8日:太原占領(太原攻略作戦)

指揮官:北支那方面軍司令官 寺内寿一大将、ただし事実上の指揮官は第五師団長 板垣征四郎中将。
参加主要部隊:北支那方面軍直轄部隊の第五師団、関東軍の混成第二旅団・混成第一五旅団、北支那方面軍第一軍の第二十師団。総兵力約六万。
中国軍の参加主要部隊:第二戦区の第一八集団軍で総司令は閻錫山。山西軍のほか、国民革命軍第八路軍を含む。

山西省で作戦することは参謀本部にも北支那方面軍にもなかった構想だったが、板垣師団長はかまわず進撃し、ついには山西省の省都・太原攻略を提言した。そして綏遠~太原~石家荘~済南~青島の線を占めて、その以北に親日政権である新北支政権を樹立すべきだと強調した。

参謀本部は(中略)板垣提案ももっともだと考えなおして、太原攻略を命じたのである。もちろん、天皇の許可をとった「大命」という形式を踏んだ。

第五師団は太原をめざしたが、途中で中国軍の大きな抵抗にあった。第一が平型関、第二が忻口鎮である。(中略)それらの陣地を突破して太原を攻略したのは十一月八日である。城内の山西軍はほとんど抵抗しなかった。

「太平洋戦争・主要戦闘事典」より
1938(昭和13)年6月6日:開封占領(徐州作戦の一部)

指揮官:北支那方面軍司令官 寺内寿一大将、中支那派遣軍司令官 畑俊六大将。
参加主要部隊:北支那方面軍の第二軍、直轄部隊。中支那派遣軍の第三・第九・第一三師団、佐藤支隊。総兵力二一万六○○○人。
中国軍の参加主要部隊:第五戦区総司令 李宗仁のもと約五○個師で、兵力約五○~六○万人。

徐州付近に数十万の中国軍が集結しているとの判断から、中国軍大量撃滅と、隴海線沿線の占領を目的としておこなわれた。(中略)日本軍の大集結をみて、中国軍は決戦を避け、大脱出をはかった。日本軍はそれを鉄道沿いに大追撃した。

「中国軍は三○○人から五○○人が一団となり、隊列を乱して逃げた。飛行機を見るや、馬も車も道路上にほうりだして、麦畑にかくれる。日本軍と遭遇すれば撃滅されるか、捕虜になるのをまぬかれ難いが、なにしろ直径数十キロから一○○キロもある包囲網だから、簡単にくぐり抜けた」

「太平洋戦争・主要戦闘事典」より
1938(昭和13)年6月9日:黄河決壊事件

日中戦争初期の1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を食い止める目的で起こした黄河の氾濫である。事件当時は黄河決潰事件と表記された。(中略)犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。軍事目的の環境破壊として史上最大とされる。

Wikipediaより

この影響で、日本軍は漢口方面への進撃を一時停止せざるを得なくなりましたが、それでも進路を変更して10月26日には武漢三鎮を占領したとのこと。史上最悪の意図的環境破壊も4ヵ月半しかその効果がなかったわけで、逆に、民衆に多大な犠牲を強いる作戦のせいで国民党軍は民心を失い、ひいては国共内戦で人民解放軍(共産党軍)に苦杯をなめさせられることになったのは、皮肉というほかありません。

1944(昭和19)年4月19日:鄭州占領 大陸打通作戦の緒戦

大陸打通作戦(正式には一号作戦)は、1944年春から暮れにかけて支那派遣軍が総力をあげて完遂した作戦。朝鮮半島の釜山からベトナムまで鉄道輸送ができるようにすることと、鉄道沿線上にある連合軍の飛行場を破壊して中国大陸から日本本土への空襲の脅威を取り除くことが目的でした。

それはさておき、誘引迎撃戦法による霊州防衛戦の具体的手順です。

誘引迎撃とは?

故意に兵力を少なく見せかけて敵の侵攻を誘い、来襲した敵を堅固な陣地で押し返しつつ、圧倒的な火力で粉砕する。

作戦開始前の霊州の防衛態勢
  • 駐留兵力は5個師団前後(歩兵分隊1200あまり)
  • 砲射程2以上の火砲の合計700超
    ※ちなみに今回は野砲+加農砲:山砲+榴弾砲の割合は、ほぼ2:3
  • 陣地規模は6000超

火砲を集中運用するため、ソ満国境に配備していた火砲や内地の要塞砲・高射砲を根こそぎ動員して霊州に集めました。砲射程3および4の火砲をほとんどすべてこの戦場に投入します。

手順

やることは「段階的に歩兵を中心とした前衛ユニット(兵員および砲射程1の車両と火砲)を引き抜いて太原に移動させ、鄭州から中国軍が攻め込んでくるのを待つ」だけ。

当初は1個師団(歩兵分隊243)程度まで減らしたら侵攻してくれたのですが、繰り返しのうちにさすがに学習したのか、しまいには歩兵分隊18にまで減らさないと誘いに乗ってこないこともありました。2ターン連続して迎撃した後の3ターン目にはそれでも乗ってこないので、諦めたことも。さすがに歩兵分隊18未満となると、いかに陣地規模が6000超で陣地レベル5.0でも撃破される危険が生じるので……。

しかも、当初は陣地レベル5.0で耐久力修正+35をキープしていたものの、火砲を追加投入し過ぎて気がつくと陣地レベル4.5の耐久力修正+30で戦っていました。なお、敵は最初の攻撃で[総攻撃]を仕掛けてくることが多いので、そこは[伏撃]でかわして、残りは[通常防御]でOK。

削っても削っても、次ターンかその次あたりには増援が送り込まれて、鄭州駐留の歩兵分隊は最大2511で推移していましたが、第33次防衛戦を最後に回復しなくなりました。無尽蔵と思われた中国軍(国府軍および八路軍)の兵力もさすがに枯渇した模様。

(C)GENERAL SUPPORT

長ったらしくて邪魔かもしれませんが、一応、戦闘履歴のコピーを以下貼り付けておきます。

1939年11月第3ターン
  第1次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 720 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 27 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1512 火砲 162 車両 0 後方 4320
  連合軍損害 兵員 467 火砲 63 車両 0 後方 577

1939年11月第5ターン
  第2次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 674 車両 20 後方 0
  日本軍損害 兵員 27 火砲 0 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 135 車両 0 後方 3743
  連合軍損害 兵員 426 火砲 55 車両 0 後方 529

1939年11月第6ターン
  第3次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 100 火砲 402 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 28 火砲 2 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 834 火砲 215 車両 0 後方 3214
  連合軍損害 兵員 246 火砲 73 車両 0 後方 130

1939年11月第7ターン
  第4次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 296 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 34 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1014 火砲 108 車両 0 後方 3470
  連合軍損害 兵員 368 火砲 48 車両 0 後方 659

1939年11月第8ターン
  第5次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 100 火砲 538 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 31 火砲 2 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 892 火砲 222 車両 0 後方 2941
  連合軍損害 兵員 253 火砲 73 車両 0 後方 120

1939年11月第10ターン
  第6次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 746 車両 30 後方 0
  日本軍損害 兵員 39 火砲 3 車両 9 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 297 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 363 火砲 100 車両 0 後方 157

1939年12月第2ターン
  第7次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 90 火砲 743 車両 21 後方 0
  日本軍損害 兵員 40 火砲 2 車両 5 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 363 火砲 95 車両 0 後方 157

1939年12月第4ターン
  第8次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 964 車両 16 後方 0
  日本軍損害 兵員 20 火砲 1 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 209 火砲 56 車両 0 後方 75

1939年12月第5ターン
  第9次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 81 火砲 542 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 29 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1051 火砲 109 車両 0 後方 3525
  連合軍損害 兵員 364 火砲 47 車両 0 後方 471

1939年12月第7ターン
  第10次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 92 火砲 710 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 45 火砲 2 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 264 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 373 火砲 91 車両 0 後方 218

1939年12月第8ターン
  第11次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 47 火砲 708 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 14 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 887 火砲 173 車両 0 後方 3382
  連合軍損害 兵員 170 火砲 39 車両 0 後方 70

1939年12月第10ターン
  第12次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 54 火砲 918 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 31 火砲 2 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1090 火砲 231 車両 0 後方 3530
  連合軍損害 兵員 420 火砲 104 車両 0 後方 212

1940年1月第2ターン
  第13次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 54 火砲1240 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 11 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 260 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 244 火砲 62 車両 0 後方 38

1940年1月第3ターン
  第14次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1240 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 18 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1016 火砲 198 車両 0 後方 3562
  連合軍損害 兵員 239 火砲 58 車両 0 後方 37

1940年1月第4ターン
  第15次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1265 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 8 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1021 火砲 212 車両 0 後方 3563
  連合軍損害 兵員 247 火砲 62 車両 0 後方 37

1940年1月第6ターン
  第16次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 54 火砲1265 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 24 火砲 2 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 243 火砲 65 車両 0 後方 37

1940年1月第7ターン
  第17次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1263 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 17 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1017 火砲 205 車両 0 後方 3563
  連合軍損害 兵員 245 火砲 61 車両 0 後方 37

1940年1月第9ターン
  第18次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1262 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 21 火砲 2 車両 3 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 251 火砲 62 車両 0 後方 37

1940年1月第10ターン
  第19次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 36 火砲1384 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 8 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1009 火砲 208 車両 0 後方 3563
  連合軍損害 兵員 263 火砲 67 車両 0 後方 37

1940年2月第2ターン
  第20次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 54 火砲1384 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 22 火砲 2 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 264 火砲 74 車両 0 後方 75

1940年2月第4ターン
  第21次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1382 車両 8 後方 0
  日本軍損害 兵員 18 火砲 1 車両 1 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 270 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 414 火砲 114 車両 0 後方 147

1940年2月第5ターン
  第22次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1381 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 13 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 846 火砲 156 車両 0 後方 3453
  連合軍損害 兵員 273 火砲 61 車両 0 後方 72

1940年2月第6ターン
  第23次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 36 火砲1380 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 31 火砲 2 車両 5 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 987 火砲 209 車両 0 後方 3528
  連合軍損害 兵員 401 火砲 102 車両 0 後方 145

1940年2月第8ターン
  第24次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 45 火砲1378 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 21 火砲 1 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1215 火砲 240 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 277 火砲 69 車両 0 後方 75

1940年2月第9ターン
  第25次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1377 車両 8 後方 0
  日本軍損害 兵員 13 火砲 1 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 938 火砲 171 車両 0 後方 3525
  連合軍損害 兵員 266 火砲 59 車両 0 後方 73

1940年3月第1ターン
  第26次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 36 火砲1376 車両 6 後方 0
  日本軍損害 兵員 31 火砲 2 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 994 火砲 211 車両 0 後方 3527
  連合軍損害 兵員 407 火砲 102 車両 0 後方 143

1940年3月第3ターン
  第27次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 55 火砲1374 車両 4 後方 0
  日本軍損害 兵員 9 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1215 火砲 242 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 265 火砲 69 車両 0 後方 75

1940年3月第4ターン
  第28次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1374 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 13 火砲 1 車両 2 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 950 火砲 173 車両 0 後方 3525
  連合軍損害 兵員 267 火砲 61 車両 0 後方 74

1940年3月第5ターン
  第29次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1373 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 16 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 993 火砲 209 車両 0 後方 3526
  連合軍損害 兵員 274 火砲 71 車両 0 後方 74

1940年3月第7ターン
  第30次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 38 火砲1372 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 21 火砲 2 車両 3 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員1260 火砲 268 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 274 火砲 74 車両 0 後方 74

1940年3月第8ターン
  第31次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1370 車両 10 後方 0
  日本軍損害 兵員 14 火砲 1 車両 3 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 986 火砲 194 車両 0 後方 3526
  連合軍損害 兵員 265 火砲 68 車両 0 後方 73

1940年3月第9ターン
  第32次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 27 火砲1369 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 0 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 817 火砲 161 車両 0 後方 3527
  連合軍損害 兵員 135 火砲 37 車両 0 後方 74

1940年4月第1ターン
  第33次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 9 火砲 840 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 4 火砲 0 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 682 火砲 85 車両 0 後方 3526
  連合軍損害 兵員 331 火砲 51 車両 0 後方 470

1940年4月第5ターン
  第34次霊州防衛戦
  日本軍参加兵力 兵員 9 火砲 840 車両 0 後方 0
  日本軍損害 兵員 5 火砲 1 車両 0 後方 0
  連合軍参加兵力 兵員 432 火砲 167 車両 0 後方 3600
  連合軍損害 兵員 158 火砲 74 車両 0 後方 74

  第1次鄭州爆撃戦
日本軍攻撃隊 爆撃機 318機
撃墜 爆撃機 1機
戦果:
陣地1260低下
兵員8 後方20

  第2次鄭州爆撃戦
日本軍攻撃隊 爆撃機 107機
撃墜 爆撃機 4機
戦果:
陣地420低下
兵員3

  第1次鄭州攻略戦
  日本軍参加兵力 兵員2312 火砲1025 車両 107 後方 5400
  日本軍損害 兵員 277 火砲 97 車両 5 後方 96
  連合軍参加兵力 兵員1661 火砲 410 車両 0 後方 7106
  連合軍損害 兵員 342 火砲 60 車両 0 後方 120
    鄭州占領(第2軍)

史実よりもちょうど4年早く鄭州攻略が成りました。事実上の「大陸打通作戦」発動です。

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