本稿を起こすにあたり、改めてじっくり読み返してみました。
前半のまどろっこしさには少々辟易させられたり、細かいことを言えばいろいろ突っ込みどころはあったりしますが、それらをひっくるめてもこの作品には最高の賛辞を送りたい。百人百様の評価があろうが、メイントリックは圧巻です!
それだけに『金田一少年の事件簿』で、いとも軽く流用されているのを見つけた時は、強烈な憤りを感じずにはいられませんでした。罪深いことには「○○○吊り上げ」の方も平然とパクっているし。わざわざ、リアリティをもたせるために人力ではなくSUV車か何かの動力を使ったという設定で。あれ以来『金田一少年……』なる作品を手にすることも映像で鑑賞することも一切なくなりました。「謎はすべて解けた」って調子こいてんじゃねえよ!
話をもとに戻して、以下、独断の評価です。
評価
本書の犯罪を成立させるためには、時は現代ではなく、科学捜査の発達していなかった戦前を舞台にするしかない。DNA鑑定とかやられたら一発でアウト。
しかし、事件発生時のリアルタイムの描写はなし。事件の解説はすべて、文献『梅沢家・占星術殺人』をベースにした石岡和己の語りによるもので、語りの時点は1979年。
したがって、戦前の情景が生き生きと読者の身に迫ってくるわけではないが、最終章を占める遺書(犯人が御手洗に宛てたもの)で、40年という歳月の重みとともに、前半は文献中の登場人物でしかなかった犯人の思いがひしひしと伝わってくる。
40年でなく4年前の事件だったら、作品にこれほどの深みを与えることはできなかったのではないか。
前半は多くの人が口を揃えて言うようにまどろっこしくて退屈。本格推理小説としてはやむを得ないところだろうけど。対称的に後半は動きがあってスピーディー。
ちなみに章立てを見ると、全460ページあまりのうち、竹越文彦登場までは約240ページで9章、京都行き以降は残り約220ページで15章に分かれている。つまり京都行き以降は一章が短いうえに細かく切れている。このあたりはスピード感や切迫感を醸し出すための技巧なのか。
探偵役の御手洗潔、相方の石岡和己は安定。各々の語り口にもう少し特徴がほしい。他の読者も指摘されているように誰の台詞かわからなくなる。
犯人は京都編最終盤だけの出場だが、末尾の遺書を含めてやるせない哀愁を感じさせる。御手洗の解説の段階では、これだけの大犯罪でありながら動機が今ひとつピンとこなかったが、遺書を読むと何だか納得させられる。
物語にタイムリミットと切迫感を与えるための登場人物・竹越文彦は、横柄で鼻持ちならない奴だが、なぜか憎めない。
竹越文彦の登場によってタイムリミットが設定され、京都に旅立つ場面からは切迫感が増大。京都の休日を満喫するという、本筋とは関係ない場面が少しあるけど。
くどいくらいに論理性を重んじている場面が、随所に見られる。
これは文句なしに秀逸。
言わずもがな。自分が読んだ中では最高峰のトリック。メイントリックが衝撃的過ぎて、残りのトリック(捨てトリック含む)が色褪せてしまう。
基本的に理知的な文体の中にも、しっとりとした情趣を感じる。後年の作品に比べると、生硬さは残るけど。
合計35点/40点。横溝翁の『車井戸はなぜ軋る』を抜いて、これまでの最高得点。
次ページはネタバレです!
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