第16話:念願の石見銀山を掌中に

戦国史

【1554年(天文23年)11月】

前年の夏頃から体調を崩していた本願寺宗主証如が死去した。享年39。1525年2月2日に祖父・実如が亡くなると、母慶寿院の後見を得てわずか10歳で本願寺10世宗主となった。死の前日、息子顕如(12)の得度を本願寺で行っており、証如の死によって顕如が本願寺11世宗主になる。【クロニック戦国史】より

「クロニック戦国史」の見開きのページにこんな記事が……

コーヒーは11世紀頃から薬として用いられていたが、15世紀にはコーヒー豆を焙煎、抽出して飲用することがイスラム圏で流行した。当時、東西貿易の中継地として繁栄したイスタンブールには、1554年頃コーヒー店ができ、多くの人がコーヒーを楽しみながら、商談や政治議論にふけった。この約90年後にはイギリス、フランスに伝えられ、急速に広まった。【クロニック戦国史】より

吉川元春軍、山吹城を攻略。ようやく石見銀山を手に入れた。

その石見(大森)銀山について……

石見の大森銀山から掘り出された白銀は、同国邇摩の馬路村にある鞆が岩の浦(馬路浦)から船積みされて筑前の博多に運ばれ、当地の豪商神屋氏によって諸国に売りさばかれた。

『毛利家文書』や『言継卿記』によると、このとき(1556年3月~1558年9月)採取した銀鉱の一部を精錬して銀弊とし、これを正親町天皇の即位料として献上している。その額は、はじめに2000貫、即位式の間近の永禄3年(1560)正月21日に御服費用として59貫400文で、総額2059貫400文にのぼった。財政難で践祚後3年余も延びのびになっていた即位式が、これに寄ってようやく実現したのであった。

豊臣政権の介入をうける以前の毛利輝元の銀山経営については、つぎにあげる天正9年(1581)7月5日付の石見銀山納所高注文(『毛利家文書』)に明らかである。

これによると、大森銀山の納所高は1年分合わせて3万3072貫、銀子に換算すると3652枚であった。

毛利氏が流浪の将軍足利義昭を奉じて織田信長と天下を競うほどの勢力を誇った要因に、この大森銀山に支えられた経済力があったのである。【歴史群像シリーズ⑨毛利元就】より

【1554年(天文23年)12月】

いいのかな~? 北条家の石高(臣従含む)依然としてダントツの1位なんだけど。

尼子氏久ってよく知らんなぁ。尼子誠久(現毛利家臣)の嫡男らしいんだけど、下手すると親子対決なんてことに……。

史実どおりのタイミングで内藤興盛が亡くなったようだ。一気に孫の内藤隆世に世代交代。

岩山城攻めを始めるにあたり、背後で蠢動されると鬱陶しいので……。

【1555年(天文24年)1月】

当家に関係ないところでモメてくれるのはありがたい。せいぜい潰し合いをやっててくれ。

【1555年(天文24年)2月】

元・陶家の勝屋興久を登用。尼子の塩冶興久(えんやおきひさ)なら知っているけど、勝屋興久って……? 調べると、山崎興盛の須々万沼城籠城戦に後詰で参戦したらしいけど、そこで戦死とか。

岩山城攻略。

今回もしっかり捕虜をゲット。

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